日本の有給は「残すと偉い」誰が決めたわけでもない奇妙な空気

未分類

年度末になると職場のあちこちで残った有給の話題が出る。

「まだこんなに残ってるよ」という声には、あきれと、ほんの少しの誇らしさが混じっている。たくさん残しているほうが、なぜか立派に見えてしまう。この感覚を一度立ち止まって眺めてみると、かなりおかしなことに気づく。

海外の記事を読むと、日本の有給休暇はたいてい「悲劇」として描かれている。働きすぎの国、休めない国、権利があるのに使えない気の毒な労働者たち。長い間そう語られてきた。

ただ少なくとも私の職場で有給を取るのはまったく難しくない。課長に「来週の金曜休みます」と一言伝えれば終わる。理由を聞かれることも嫌な顔をされることもない。

では何の問題もないのかというとそうではない。日本の有給をめぐる本当に奇妙な部分は取りやすさでも取りにくさでもなく、もっと内側、私たちの頭の中にある。

会社はむしろ「取らせたい」

2019年4月に法律が変わり、年10日以上の有給がある社員には最低5日を必ず取らせることが会社の義務になった。

そして、この義務化が空気を変えた。

私の会社でも有給の管理はかなり徹底している。誰がどれだけ取ったか年度の途中で進捗が共有され、残りが少ない人には上司から「そろそろ消化してください」と声がかかる。理由はシンプルで規定の日数を取らせないと管理する側の上司にペナルティが及ぶからだ。

つまり今の日本では、有給は「取らせてもらえない」ものではなく、むしろ「取ってください」と頼まれるものになりつつある。

数字もそれを裏づけている。厚生労働省の最新調査によれば2024年の有給取得率は66.9%で、9年連続の上昇となり過去最高を更新した。平均取得日数は12.1日、政府は2028年までに70%を目標に掲げていてその背中はもう見えてきている。

制度は整い会社も取らせにくる。数字も改善している。それでもまだ残るものがある。

「残しているほうが偉い」という幻

有給をたくさん残している人を見ると、どこかで「真面目だな」と思ってしまう自分がいる。よく働く人、我慢強い人、会社に尽くしている人、残日数の多さが勤勉さの証明書みたいに見える瞬間がある。

しかし、冷静に考えればこれはおかしい。

有給は働いた対価として与えられた権利で、使い切ったところで誰にも文句を言われる筋合いはない。残したからといって給料が増えるわけでもない。多くの会社では買い取りもなく、持ち越しの上限を超えた分はそのまま抹消されてしまう。残すことに合理的な得は何ひとつないのだ。

それでも「残しているほうが立派」という感覚はしぶとく生き残っている。誰が決めたわけでも法律に書いてあるわけでもないのに空気の中に確かにある。日本の有給をめぐる最後の壁は制度でも上司でもなくこの幻なのかもしれない。

有給取得の考え方は世代が逆さまだった

ここで意外なことに気づく。

海外の人に話すとたいてい逆を想像される。「年配の社員は古い価値観で休まず、若い世代はドライに権利を使うのだろう」と。私自身もなんとなくそうだろうと思っていた。

ところが現実はひっくり返っている。

気にせず有給を取るのはむしろ上の世代だ。長く働いてきた人ほど休むことに迷いがなく、「来週ちょっと旅行に行くから」と当たり前に申請する。一方で入ったばかりの若手のほうが有給の前で固まってしまう。

その気持ちは痛いほどわかる。私も新人の頃はまったく同じだった。

休みを取ること自体がどこか申し訳なかった。周りはみんな働いているのに自分だけ抜けるのが怖くて、目立ちたくない、真面目だと思われたい、横並びから外れたくないと身構えていた。「残しているほうが偉い」という幻をいちばん深く信じ込んでいたのは、当時の自分だったのかもしれない。

上司が「休め」と言う時代

最近、職場でよく見る光景がある。

上の立場の上司が若い社員に「ちゃんと有給取ってる?」と声をかけ、「取りなさい」と促す。休むことが上から命じられているのだ。

ここに日本らしい逆説がある。本来、有給は誰の許可もいらない自分のための権利なのに、それを行使することすら上意下達で背中を押されないと動き出せない。自由なはずのものが命令として配られている。

それでもこの光景を悪くないと思っている自分がいる。

促されているうちに若手も少しずつ変わってきた。最近は特別な理由がなくても有給を取る人が増えていて、与えられた権利を当たり前に使おうとする空気が確かに育ちはじめている。きっかけが上からの一言であっても、休むことへの後ろめたさが薄れていくならそれでいい。

私自身、今では考え方がはっきり変わった。与えられた有給はフルに使いたい。残して偉ぶる時代は自分の中ではもう終わっている。

本当の壁はどこにあるのか

日本の有給の問題はもう制度ではない。法律は整い、会社は取らせ、数字は毎年伸びている。むしろ上司のほうが「休め」と言ってくる。

残った壁はたぶん一つだけだ。「残したほうが偉い」という自分の頭の中の声。

恵庭の冬は長い。想定外の大雪に見舞われれば朝起きたら車が雪に埋まっていて、雪かきだけで午前が消えてしまう日もある。そんな一日に有給を充てるのも、今では珍しくなくなった。ただ昔の私は疲れたからとか雪が積もったからという理由で休むことに、どこか申し訳なさを感じていた。休みは「特別な理由」のためにあるものだと思い込んでいたのだ。

権利を権利として使えるようになるまでずいぶん遠回りをした。残した有給の多さを誇る必要などどこにもなかったのに。

コメント

タイトルとURLをコピーしました