北海道で会社員として働く自分にとって、2018年9月6日の未明はいまも忘れられない夜だ。震度4の揺れで飛び起き、気づけば町全体から明かりが消えていた。
棚の上の物が落ちてくる音がして、とっさに何も置いていない部屋の隅へ避難する。揺れが収まるまでの数十秒、頭の中は真っ白だった。
落ち着きを取り戻して部屋の電気をつけようとしたとき、スイッチを押しても何も光らない。窓のカーテンを開けてみるといつもなら見えるはずの隣の家の灯りも遠くの街灯も何ひとつ点いていなかった。
町全体から明かりが消えていた。
このあと自分が「電気を持つ側」と「持たない側」に分かれた世界で何を選ぶことになるのか、そのときはまだ分からなかった。
3時7分、北海道ブラックアウトが始まった瞬間
停電に気づいた瞬間、真っ先に浮かんだのは「いつ戻るのか分からない」という不安だった。
地震そのものの揺れは数十秒で終わる。だが停電は終わりが見えない。真っ暗な部屋の中でスマホの画面だけが唯一の光源になった。
バッテリー残量を見ながら、これを何にどう使うべきか頭の中で計算を始める自分がいた。連絡を取るためか情報を得るためか、それとも懐中電灯代わりにするためか。優先順位を決めるという行為自体がすでに非日常だった。
外の様子をもう一度確認しに窓へ寄る。街全体が同じ暗さに沈んでいる光景は、恵庭で暮らしてきた中でも初めて見るものだった。
後から知ったことだが、この停電は北海道全域におよぶ「ブラックアウト」と呼ばれる現象で、道内の約295万戸が同時に電気を失っていたらしい。当時はそんな規模の話だとは想像もせず、ただ自分の部屋の暗さだけを見つめていた。
発電機がある職場と何もない自宅
自宅には発電機がない。だから停電が始まった時点で、自宅の中でできることはほとんどなかった。
冷蔵庫は開けずに温度を保ち、スマホの電源は極力落とす。できることといえば、その程度しかなかった。
一方、勤務先には自家発電機が備えられていた。停電の翌朝、出社してすぐに気づいたのは、職場だけが平常運転に近い状態を保てているという事実だ。
照明がつき、パソコンが起動し、スマホの充電もできる。何不自由なく普段通りの業務をできることに大きなありがたみを感じた。
家族の分の充電も心配だったので、自宅からモバイルバッテリーを何個か持ち出し、職場でまとめて充電することにした。家では真っ暗な中で過ごしていた家族が、少しずつ電気を取り戻していく。
この落差に最初は単純に「助かった」としか思わなかった。会社に発電機があってよかった、これで家族も安心できる。そう考えていた自分は、まだこの後に起きることを知らない。
「災害はお互い様」という思い込み
災害のときは地域も会社も助け合うものだという感覚が、自分の中にも漠然とあった。
停電のニュースやSNSでは避難所での炊き出しや近所同士で食料を分け合う話がよく紹介される。困っている人がいれば持っている側が分け与える。そういう物語をこれまで何度も見聞きしてきた。
自分の職場に発電機があるという事実も最初はその延長線上で捉えていた。何かあれば困っている人の力になれるかもしれないと。
だがその想像は停電から一日も経たないうちに崩れることになる。
その発電機は近所の人には開かれなかった

停電が続く中、職場に発電機があるという話はすぐに近隣へ広がった。夜に町全体が真っ暗な中、部屋に明かりがともっているのを見れば、誰もが電気があると思うのも当たり前だろう。
そのため、スマホを充電させてほしいという人たちが次々と職場を訪れるようになった。切実な事情を抱えた人もいたはずだ。連絡が取れず不安な家族がいる人、仕事で情報が必要な人、急に訪れる災害に対して準備を整えている人などほとんどいなかった。
しかし会社としての判断は「すべて断る」だった。一人受け入れれば次から次へと人が集まり、収拾がつかなくなる。管理も難しくなるし、セキュリティ上の問題も出てくる。理屈としては理解できた。
それでも実際に断る立場に立つと頭で分かっていることと目の前で困っている人に「できません」と言うことの間には埋めがたい距離があった。
玄関先で頭を下げて帰っていく人たちの背中を今でも時々思い出す。
電気を持つ側になって初めて気づいたこと
電気があるかないかは、停電が起きるまで意識したこともない差だった。
自分は職場にいる間スマホを充電でき、ニュースサイトで地震の状況や復旧の見通しを確認できた。情報が入ってくるという安心感は、停電を経験して初めてその重みに気づいたものだ。
一方で電気を持たない人たちは、情報からも連絡手段からも切り離されていた。何が起きているのか分からないまま、ただ暗闇の中で復旧を待つしかない。
災害という平等に見える出来事の中にも電気という一本の線を境にまったく違う体験をしている人たちがいる。この事実に気づいたのは、皮肉にも「持つ側」として人を断る立場に立たされたからだった。
あのとき断った一人ひとりの顔を今でもはっきりとは思い出せない。ただ申し訳なさだけが記憶に残っている。持っている側にいるという状態は、思っていたよりずっと重い立場なのだとあの数日間で初めて知った。
あれから7年、北海道の電力への備えはどう変わったか
北海道電力ではこの経験を教訓に発電所の分散化や早期復旧のための体制整備が進められてきた。行政や企業も非常用電源の確保をこれまで以上に重視するようになっている。
自分自身の暮らしも変わった。モバイルバッテリーは常に複数台を満充電で保管するようになったし、懐中電灯や電池も以前より多めに備えるようになった。近所の人にもいざというときに何が必要かを聞かれれば具体的に答えられるくらいには準備を見直した。
それでも次に同じ規模の停電が起きたとき、自分がまた「電気を持つ側」にいられるという保証はどこにもない。備えを厚くしたところで、線引きの難しさそのものが消えるわけではないからだ。
明かりが消えたあの夜に、まだ答えていない問い
あれから7年経った今も9月の夜に少し強い揺れを感じると無意識に窓の外を確認してしまう自分がいる。
町の明かりがちゃんと点いているかどうかを確かめずにはいられない。
あの夜、電気を持つ側にいたことで自分は助かった。同時に持たない側の人を何人も断った。次に同じ状況が来たとき、自分はまた同じ選択をするのだろうか。


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