ノミニケーションを続ける理由|恵庭発・会社員の本音

働き方・キャリア

「今夜どう?」

デスクの向こうから先輩の声がかかったのは、金曜の17時過ぎだった。声の主は同じ高校の先輩。予定はないから今日も行く。

断る理由はいくつもある。疲れているや明日は早いなど、それでも断らない自分がいる。上下関係に縛られているからだろうか。そう聞かれれば、正直なところよく分からない。断ったところで評価が下がるわけではないのになぜ「行く」を選び続けるのか。答えはこの先に置いておく。

体育会系の職場で「断る」という選択肢

私の職場は体育会系の空気が強く、先輩から声がかかれば予定がない限りまず行く。これはルールではないし、誰かに強制された記憶もない。ただそういうものだという感覚が新人の頃から染み付いている。

同じ高校出身の先輩が数名いることも大きい。会社の先輩である前に、部活の先輩だったり近所の顔見知りだったりする。この二重の関係が断りにくさをさらに強くし、会社の上下関係で断るのではなく、地元の先輩後輩の関係を断るような感覚に近づく。

誤解してほしくないのは、これを苦痛だと思っていないことだ。飲み会そのものは嫌いではなく、誘われて気が重くなる瞬間があっても行ってしまえば大抵は楽しい。だから断りにくさと不快さは私の中では別のものとして存在している。

「不利益はない」という事実

もう一つ、はっきりさせておきたいことがある。先輩の誘いを断ったところで、私の職場で実際に不利益を受けることはない。査定が下がるわけでも仕事を回してもらえなくなるわけでもないのだ。

これは重要な事実だ。海外の読者が想像する「Nomikai」は断ると出世に響いたり、断ると村八分にされるという恐怖に基づいた制度として語られることが多い。少なくとも私の職場に関して言えば、その恐怖は存在しない。断らない理由は恐怖とは別のところにある。

実際、私自身も体調が悪い日や他の予定が既に入っている日には何度か断ったことがあるが、理由を伝えればそれで済み、翌週に気まずさが残ったこともない。もし本当に圧力だけが支配する職場なら、この気軽さは説明がつかないはずだ。

通説──同調圧力としての飲みニケーション

日本の飲み会文化を語るとき、外から見た説明はたいてい一つの型に収まる。上司に逆らえない部下が業務時間外まで拘束され、断れば評価に響くから仕方なく参加する。同調圧力という言葉がこの構図をきれいに要約してしまう。

この説明は間違ってはいない。実際にそういう職場も存在するだろうが、私自身の実感とは、どこかずれている。

だが、それだけでは説明できない頻度があった

10年前、私の職場では飲み会が月に1回、多いときは2週間に1回のペースで開かれていた。今の感覚からすれば異常な頻度で、圧力だけでこの頻度は維持できない。誰だって疲れるからだ。

そのとき飲み会が果たしていた役割は単なる懇親ではなかった。上司と部下が業務時間中には出てこない話をする場として、現実的に機能していたのだ。プロジェクトの裏話、異動の噂、人によっては将来のキャリアの相談まで、あの席でしか聞けない話があった。

同調圧力という説明だけでは、この機能の部分が抜け落ちる。飲み会は縛るための道具であると同時に、対話を生む数少ない回路でもあった。頻度が多かったのは拘束したかったからではなく、話す機会がそれだけ必要とされていたからだ。

静かに消えていった対話の場

その回路は今、静かに閉じつつある。

パワハラやセクハラへの意識が厳しくなったのは、間違いなく良い変化だ。無理な誘い方や説教まがいの飲み会は減った一方、その副作用として飲み会そのものの回数が大きく減り、年の離れた上司や先輩と話す機会がそのまま失われている。

今、コミュニケーション能力を疑いたくなる上司が目につく。話すことが苦手なのではなく、話す場そのものがなくなったのだろうと思う。雑談で人柄が伝わる機会が減り、愚痴を軽く聞いてもらえる相手も減った。場がなくなれば、人は不器用に見えるようになる。

ここまで考えたとき、冒頭の問いに戻る。私が誘いを断らない理由は、上下関係の圧力ではない。消えかけている対話の回路を、無意識のうちに手放したくないだけなのかもしれない。

若手はもう飲み会に来ないという前提

一方で、私自身が誘う側に回ったとき景色はまったく違って見える。

若手を誘っても断られることが今では普通だ。自宅での焼肉や担当内での簡単な食事会、そうした比較的軽い誘いでも同じことが起きる。かつては多少プライベートをずらしてでも飲み会を優先する空気があったが、今の若手はプライベートを確実に優先する。

7、8年前はこの変化に周囲が戸惑っていた。最近の若手は飲み会に来ない、飲み会が嫌いなんじゃないか、そんな声があちこちで聞かれたものだ。今はもうその段階を過ぎ、誰も驚かなくなった。断られることが前提になり、誘い方そのものが軽くなった気がする。

無理に誘わず、断られても引きずらない。今の職場はその距離感にすでに適応している。

車社会の飲み会が成立する仕組み

恵庭や千歳のような車社会の町でも飲んで帰ることは特別ではない。

急な誘いがあった日は、車を職場に置いたまま歩いて飲み屋に向かう。駐車場の心配をする必要はほとんどなく、町の規模がそれほど大きくないため店までの距離もたかが知れている。

帰りはタクシーか徒歩になり、翌朝は誰かに職場まで送ってもらうか歩いて向かう。車を取りに戻るのはまた別の日の話だ。

このサイクルが当たり前になっているからこそ、飲酒運転への厳しい目と車社会はこの町では矛盾なく共存している。誰も車で飲みには行かないのに、誰もが飲んで帰る。北海道の地方都市らしい、静かな折り合いの付け方だと思う。

今夜も先輩から声がかかるかもしれない。予定がなければ多分また行く。上下関係のためではない。理由はもっと静かなところにある。

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