昇進で給料は上がる。なぜ若手は課長になりたがらないのか

キャリア論

職場で「出世したくない」と公言する若手をここ数年で何人も見てきた。

一昔前ならそんな本音は飲み会でこぼす程度だったはずだが、いまは普通の顔で口にする。理由を聞くとたいてい同じ答えが返ってくる。「管理職になると残業代が出なくなって手取りが減るからだ」と。日本の働き方を紹介する海外の記事でもこの説明は定番になっている。

課長に昇進した瞬間、時間外手当の対象から外れ部下より給料が低くなる「逆転現象」が起きるという話だ。

ただ、自分の職場ではその話は当てはまらない。

私の会社では課長になると管理職手当がつく。残業がそもそも多い職場ではないから、消える残業代より管理職手当の方が大きい。近年はその手当が増額された。つまり、昇進すれば給料は普通に上がる。損をするどころか金額だけ見れば得をする。

もちろん会社によって事情は違う。残業が常態化している職場なら、手当より失う残業代の方が大きく本当に手取りが減るケースもあるだろう。だから「昇進すると損」という話が全部嘘だとは言わない。ただ、少なくとも自分の周りではそれは出世を避ける理由になっていない。給料は上がるのにそれでもなりたがらない。ここに本当の問題がある。

では何が問題なのか。

ひとつは昇給の頭打ちだ。年に一度の昇給は若いうちはそれなりに上がる。けれど年次が進むにつれてその幅はじわじわ縮んでいく。数千円、ときに数百円、一年頑張って月給が数百円増えるという現実を一度味わうと、努力と報酬がつながっている感覚が薄れていく。

役職に就かなければ給料は伸びないというのは事実だ。だが、その「伸びる役職」に就いたところでその先に何が待っているのかは見えない。課長の上には部長がいてそのポストはずっと少ない。多くの人は課長で止まるため、天井が思ったより低い位置に見えているのも要因の1つである。

もうひとつの要因は割に合うかどうかの天秤だ。

課長は実際に忙しい。外部との対応、部下のマネジメント、上から下りてくる指示と現場の声の板挟み。横で見ていて楽そうだと思ったことは一度もない。手当が増えたおかげで「損ではない」が進んで引き受けたいほど「得」でもない。プラスでもマイナスでもなく、ゼロのあたりをうろうろする取引となっているのがいまの管理職という椅子の正体に近い。

人の損得勘定は人間関係や出世にも大きな影響を与える。現状、管理職はどちらでもない損も得もしない取引と認識されており、わざわざ手を挙げる理由には弱いのが正直なところ。「割に合う」と「魅力的だ」はまったく別の話だ。

そして、もっと大きな地殻変動がある。『出世=幸福』という前提そのものが崩れた。

役職に就いて責任を背負い、その対価に給料が少し増える。昭和から続いてきたその人生のかたちが唯一の正解ではなくなったのだ。プライベートの時間で家族と過ごす夜、趣味に使える週末、これらの自由を差し出してまで肩書きを取りにいく価値が本当にあるのか。そう問い直す若手が明らかに増えている。

北海道の田舎に住んでいることが大きな意味を持つ

北海道の田舎で暮らしていると東京で語られる出世競争が、別の星の話に聞こえることがある。通勤の電車で消耗することもなく、少し車を走らせれば職場があり山も湖もレジャー施設もある。

生活の質を測る物差しが給料や肩書きとは違うところにあるのが田舎の良いところだろう。出世してさらに忙しくなってこの暮らしの余白を削るという選択が、どうしても割に合って見えない。

正直に書く。自分も管理職になりたいとは特に思っていない。

しかしながら絶対に嫌だというわけでもない。望まれれば受けるつもりではいる。この「望まないが、拒みもしない」という宙ぶらりんな感覚。これが、令和の若者の一番リアルな本音である。野心に燃えているわけでも、完全に背を向けているわけでもない。差し出されたら考えるけど、自分から取りにはいかない。

これを無気力だと片付けるのは簡単だ。「向上心がないハングリーさが足りない」と。

しかし、実際は違う。これは冷静な損得勘定の結果であり、更新された若者の価値観の結論だ。給料が上がっても割に合わなければ動かない。それは怠惰ではなく合理性であることに間違いがない。

会社が本気で若手に管理職を目指してほしいなら、手当を少し増やすだけでは足りない。「損ではない」を「ぜひやりたい」に変えるものはいったい何なのか。給料の数字だけではもう人は動かないのかもしれない。

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